1560年 戦国乱世
武田家
第8ターン · 1560年8月5日金曜日
外交小田原の北条氏康のもとへ武田晴信の誓詞が届き、後背の安全を確認した北条家は武蔵の鉢形・川越城の迎撃態勢を固めつつ久留里城攻囲へ戦力を集中させた。
戦争海津城の高坂昌信は犀川渡河舟筏や矢弾の最終点検を完了し、飯山城直前へ物見を濃密に敷くとともに越中・加賀一向一揆との烽火通信手順を確立させた。
戦争武田家の挑発と海津城の即応態勢を受けた長尾景虎は、秋の関東越山軍の一部を飯山城の後詰へ割き、善光寺平の武田勢を討破すべく春日山城より信濃境目へ先鋒部隊を進発させた。
戦争水の手を断たれた久留里城の里見義堯・義弘父子は雨水の徹底回収と厳しい配給統制によって渇きを凌ぎ、城外の北条勢へ激しい弓鉄砲の抵抗を続けて耐え抜いた。
政治今川氏真は東三河の崩壊を防ぐため、吉田城代の小原鎮実や上ノ郷城の鵜殿長照ら親今川派の諸将へ知行安堵状を与えて岡崎の松平元康に対する防衛線を再編した。
戦争織田信長は斎藤義龍による犬山城への補給路を遮断すべく木曽川沿いに監視砦の普請を開始し、水野信元の領地を盾として東境の防備を固めた。
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