1560年 戦国乱世

今川家

第3ターン · 1560年7月24日日曜日
この世界の現在の地図

政治信長は緒川へ出入りする今川方の使いの影を嗅ぎつけ、知多境の目付を倍にして水野家中の往来を一人ずつ改めさせ、常滑・大野の諸家にも人質の差し出しを促した。

戦争美濃三人衆の一手は木曽川沿いの示威を続け、犬山の織田信清も岩倉を窺ったが、いずれも川を越えて城を攻めるには至らなかった。

戦争北条勢は久留里城の水の手曲輪に夜襲をかけてこれを奪い、渇きに苦しむ里見方の籠城兵から逃亡者が出始めた。

戦争長雨が小止みとなり、今川本隊は熱田から清洲へ向けて付城を築き始め、ようやく清洲の南と東に囲みの陣が並び始めた。

戦争松永久秀の兵糧攻めに耐えかね、飯盛山麓の畠山方の砦二つがさらに開城し、高屋城は孤立の度を深めた。

戦争雨の晴れ間に今川の付城普請が清洲を半ば囲み、籠城二月目に入った信長の清洲は東海道筋から切り離されつつある。

政治高坂昌信の督励で海津城の本丸普請が成り、武田方は千曲川の守りの要を得た。

外交神戸氏は北畠の官途状に対し礼物を送って所領安堵を受け、関氏はなお返答を保留した。

今川家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
あなたの歴史を書く
Orbis Alterni · AIグランドストラテジー・サンドボックス