1853: The Black Ships

クロニクル

第1ターン · 1853年7月10日日曜日

経済島津斉彬、集成館の反射炉増設工事を開始させ、鍛冶方・砲術方の職人を増員して洋式鉄砲の鋳造を昼夜兼行で進めさせる。炉の増設により薩摩の鋳造能力は佐賀に並ぶ水準へと前進した。

外交琉球王府を仲立ちとしてフランス商人ラニエルへの使者が那覇を出立した。蒸気船購入の打診を含む書簡を携えており、接触そのものは成立したが、仏側は価格と幕府の承認問題を理由に即答を避け、秋以降の再交渉を示唆した。

政治薩摩藩の使者が山城・二条近辺の公家を介して朝廷へ到達し、幕府の対応を「二百年の祖法を守りえぬ失態」と批判する建白書を奏覧に供した。孝明天皇はその内容に深く頷いたと伝わり、廷臣の間に薩摩を頼もしとする気風が生じた。

政治老中阿部正弘、将軍徳川家慶の危篤を受けて江戸城内で諸大名へ急使を発し、アメリカ国書への回答方針について評定所での合議を呼びかける。しかし諸藩の意見は攘夷強硬論と現実論に真っ二つに割れ、合議は紛糾した。

政治将軍徳川家慶、江戸城西の丸において薨去。幕閣はペリーへの回答も定まらぬうちに将軍継嗣問題を抱え込み、紀州藩主徳川慶福を擁立する一橋派と南紀派の暗闘が始まった。

政治水戸藩主徳川斉昭、将軍薨去の報に乗じて攘夷建白書を老中へ提出し、諸藩の志士に「今こそ夷敵を追い払う好機」と書状を廻した。茨城・常陸各地の郷士層に動揺が広まった。

経済佐賀藩の鍋島直正、ペリー来航の報を受けて長崎防衛のためアームストロング砲に類する鉄製砲の試鋳を命じ、精錬方の蘭学者たちを昼夜督励した。薩摩の集成館拡張と相俟って九州西岸の軍事的緊張が高まりつつある。

外交オランダ商館長クルティウス、長崎奉行を通じて幕府に覚書を提出。ペリーの要求を全面拒絶した場合、英仏が軍艦を差し向けて江戸湾を封鎖する可能性があると警告した。幕閣はその文書を秘匿したが、内容は評定所の書役から諸藩へと漏れ始めた。

政治孝明天皇、廷臣に勅語を下し「異国の要求に一歩も譲るべからず」と攘夷の聖意を明らかにした。この勅語は公式の宸翰とはならなかったが、廷臣を通じて諸藩の尊攘派志士の間に広まった。

政治土佐藩家老吉田東洋、藩論を「開国やむなし」と「攘夷断行」の二派が真っ向から争う状況を危惧し、藩主山内豊信に建白書を提出して静観の方針を求めた。藩内は表向き沈黙を保つことになった。

不穏仙台藩領内の下級武士数十名が「夷狄渡来」を理由に不法に海岸警備を始め、藩当局は鎮撫に苦慮した。陸奥各地での自発的な武備強化の動きは、藩の統制を超えつつある。

経済松前藩、蝦夷地の交易船がロシア商人と接触したとの風聞が江戸に届いた。松前藩は全面否定したが、北辺の緊張が南の黒船問題と重なって幕府の憂慮を深めた。

Satsumaの治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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