1914年 火薬庫
アフガニスタン
第7ターン · 1915年1月24日日曜日
戦争サルカムシュ山中でオスマン第三軍は厳寒と補給途絶のなか露コーカサス軍の反撃を受けて壊滅し、エンヴェル・パシャの攻勢は凍死者数万を出して潰えた。
政治アミールは鉄道建設委員会を発足させ、ジャララバード近郊と主要街道沿いの首長数名を委員に迎えたが、カンダハール奥地と山間部の有力者には使者が届かず席は空いたままとなった。
外交外務顧問局は聖戦檄文への態度を記した声明草案を起草したが、ウラマーへの配慮から文面はなお婉曲で、カリフ名指しの一句を入れるか宮廷会議で再調整が続いている。
外交シムラーに書記を滞在させる外務顧問局の試みに対し、インド政庁政治局長代理は無許可の常駐は越権であるとの抗議文をカーブルに送り、書記は総督府の門前で応接を断られた。
外交イラン政府はアフガン側の日仏取次ぎ打診に対し、自国が英露双方から回答を得られぬ孤立の身では仲介に立てぬとして固辞した。
外交イラン政府はタブリーズの露軍駐留に改めて抗議したが、サルカムシュの勝報に沸くペトログラードはこれを黙殺した。
不穏ペシャワールの宗教網はサルカムシュ敗報を伏せたまま檄文の写しをパシュトゥーン諸部族へ公然と配り広め、東部谷筋の金曜礼拝でも聖戦の語が聞かれるようになった。
戦争英国とドイツの航空・海軍が北海で睨み合うなか、ドイツ飛行船が初めて英国東部ヤーマスを空襲し、市民に死者が出た。
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