1560年 戦国乱世
尼子家
第42ターン · 1575年4月23日水曜日
経済尼子義久の命を受けた普請奉行らが大坂の旧石山寺内跡地および安芸広島の要衝において同時に新城の築城縄張りを開始した。
戦争越中放生津より進発した尼子軍の精鋭が氷見口境目を越えて能登へ進駐し、畠山義綱と合流して七尾城の反抗重臣層を武威のもとに屈服・武装解除させた。
外交尼子家の特使が豊後府内城に参着して大友義鎮へ非礼を詫び、九州全土の領国仕置きおよび降伏取次の権限を探題たる大友家に一任する旨を誓約して同盟を再確認した。
外交尼子義久の正使が奥州米沢城の伊達輝宗へ拝謁し、甲斐武田家が領する越後への共同進攻および境目での軍事連携への協力を申し入れた。
戦争織田信長は武田晴信の圧迫に対抗して東美濃岩村方面の境目要害の守備を増強し、尼子家に対して越中・北陸口からの武田背後挟撃を重ねて催促した。
戦争筑後川境目にて大友・河野連合軍が圧迫を一段と強める中、龍造寺隆信は佐賀平野の防禦を固めて迎撃態勢を敷きつつ尼子管領へ即時停戦の御教書を求めた。
外交本願寺門主顕如は石山・加賀の喪失を受け入れて軽挙妄動を戒める御文を下知し、管領尼子義久へ宗門存続と信仰安堵を乞う恭順使節を派遣した。
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