1560年 戦国乱世
武田家
第65ターン · 1561年9月8日金曜日
外交武田晴信の命を受けた使節団が粟田口の陣より京洛へ進発し、室町幕府の申次を通じて太刀や名馬、甲州金を添えた起請文を奉呈し、厩橋合戦以来の敵意なき真情を申し開き届け出た。
政治将軍足利義輝は武田晴信の使者を引見して起請文を受理し、洛中への無断進入を固く戒め粟田口での自重を命じつつ、武田軍との即時武力衝突を回避し真意を慎重に見定める方針をとった。
外交六角義賢は幕府へ特使を急派して武田晴信の弁明を欺瞞と糾弾し即時討伐を要請したものの、幕府が対話方針に傾いたため奏請は空転し、瀬田川・草津の警戒維持を余儀なくされた。
戦争三好長慶の命を受けた松永久秀が手勢を率いて山城南部の勝竜寺城方面へ進出し、将軍警固の要請に応じる構えを見せつつ粟田口に駐留する武田軍の動向偵知に着手した。
政治北近江の浅井長政は六角義賢が南近江防備に釘付けとなっている機を捉え、前哨を南下させて愛知川以北の在地国衆へ調略を仕掛け、対六角防衛線の前進を図った。
戦争常陸方面では北条軍の別動隊が霞ヶ浦北岸の水陸間道を扼して佐竹方の常陸府中城への兵糧補給路を脅かし、府中防衛線への兵站圧迫を一段と強めた。
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