1560年 戦国乱世
三好家
第32ターン · 1561年1月20日金曜日
戦争備後灘にて三好水軍主力と毛利・小早川警固衆が激突し、仏狼機砲の砲撃で毛利前衛を圧迫したものの、潮流に乗じた焙烙玉と小早の急襲により三好側も複数の大船が炎上して双方が損耗を出し後退した。
戦争大友宗麟が要請に応じ豊後水軍の警固船数十隻を関門海峡方面へ進出させて示威行動を展開したため、毛利元就は門司防備を固め瀬戸内東部への警固衆増派を一部見合わせた。
政治朝廷は生野銀二百枚の献納を受け阿波公方足利義助へ畿内静謐を促す綸旨を下賜したものの、義助への左近衛中将昇叙および義輝解官・将軍宣下については先例不在を理由に明確に退けた。
経済三好家より観音寺城へ兵糧米八百石と火薬三十樽が滞りなく到着し、六角軍は北近江および越前境の関門警備を一段と強化して朽木谷の完全孤立を維持した。
政治松永久秀と美濃の斎藤義龍が境目にて会談し、織田信長処刑の事実を共有した上で北尾張三郡の境界杭設置と逃亡牢人の引き渡し実務に関する取り決めを締結した。
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