1560年 戦国乱世

クロニクル

第91ターン · 1562年3月3日土曜日

戦争山城南部を進軍する織田家の早馬が各隊へ一斉に触れ回り、全軍の真の攻撃目標が教興寺の畠山高政本陣である旨の決戦下知が滞りなく伝達された。

戦争織田信広率いる尾張兵千と蒲生定秀率いる南近江勢四千が飯盛山城への街道および水の手を塞ぐ牽制陣地を敷き、三好長慶は城内守備を固めて迎撃への出撃を自重した。

戦争丹羽長秀率いる長柄槍隊と早込鉄砲隊が教興寺の狭隘低湿地で二段交代斉射を浴びせ、根来・雑賀の前衛鉄砲隊を圧倒して畠山本陣への突入路を切り開いた。

戦争織田信長率いる馬廻衆二百余騎が泥濘を越えて教興寺の畠山本陣へ猛突入して敵本隊を壊滅させ、敗走した畠山高政が高屋城へ逃げ込み城門を閉ざしたため高屋城包囲へ移行した。

戦争雑賀孫市の行方不明により前線の統率を失った雑賀衆・根来衆は河内および大和信貴山城周辺の向城から算を乱して紀伊本国へ潰走し、信貴山包囲網が自然崩壊した。

戦争羽柴秀吉・滝川一益率いる別働隊二千が大和竜田越えを難なく突破して信貴山城下へ達し、筒井順慶が大和領内へ撤退する中で孤立籠城の松永残党と合流を果たした。

外交教興寺での畠山本隊壊滅の報を受け、京洛の将軍足利義輝は公儀の追討令を完遂しつつある織田信長へ賞賛の御内書を認めるよう幕閣奉公衆へ命じた。

織田家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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