1560年 戦国乱世

大友家

第17ターン · 1560年10月7日金曜日
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政治大友義鎮は旧有馬領の内陸部統治を郡代格の大村純忠に委ねる一方、深角や横瀬浦など要衝港湾を大友家直轄として湊奉行を派遣し、西肥前の新支配体制を布いた。

戦争大友軍は島原・長崎の要衝に城番を残して動員兵の多くを秋の稲刈りへ復員させ、旧有馬勢の編入兵を門司城や肥後・豊後の境目番所へ配備して領国再編を進めた。

政治府内および博多の手習い所につき身分秩序の厳守と実務筆生の限定登用を明記した釈明令が下達され、譜代重臣や国衆の反発が鎮静化して家中の動揺が収拾された。

経済毛利元就は石見山吹城の接収完了に伴い大森銀山の主要坑道と精錬所に直轄代官を配置する一方、対岸の門司城普請を警戒して赤間関の番兵と哨戒船を増強した。

戦争島津貴久は大隅高山城への水の手を完全に断ち切り昼夜の銃撃と矢文による調略を激化させ、補給の途絶えた肝付兼続を落城寸前の窮地に追い詰めた。

外交越後春日山城の長尾景虎は大友家使節団を直江津・新潟の津役人へ引き合わせて交易規定の策定に着手させるとともに、初雪前の関東越境に向け越後諸将へ総陣触れを発した。

大友家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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