1560年 戦国乱世
クロニクル
第30ターン · 1561年5月31日水曜日
政治蝦夷地の大コタンにて王が砂金採取の一時棚上げと秋の親魚漁の差配権返還を正式に布告し、盛大な神送りの祭儀を執り行ったことで、祖法派長老らの王都への反発が急速に軟化した。
外交安房勝浦に滞在する蝦夷使節団は里見義堯・義弘父子と小規模な交易約定を結び、北条方の海上警戒を避けて少量の兵糧米と鉛玉を受け取り、今後の定期往来を約して帰途の船を出した。
外交津軽番所の石川高信は蝦夷王都からの虚飾なき弁明書状を受け取ったものの、隠匿自体の存在を確証とみなして育英館の若者三名の留置を継続し、安東検分使への通報を強めて海峡監視を維持した。
外交朝廷は近衛前久の執奏を経て越後の長尾景虎および安芸の毛利元就へ勅使を差し立て、御料所年貢の回復と儀礼復興の献金を条件に官位補任を打診する正式な綸旨を発した。
外交徳山館の安東検分使は津軽番所からの不審金粒の情報を突きつけて蠣崎季広の「神域禁忌」の申し開きを一蹴し、山丹交易台帳の即時開示と蝦夷奥地への同行監察を求める最後通牒を叩きつけた。
戦争尾張境にて今川義元本隊が丸根・鷲津両砦の陥落を確認して桶狭間方面へ進軍を開始し、清洲城の織田信長が寡兵を率いて善照寺砦へ電撃的に出陣したことで尾張の命運を分ける決戦が迫った。
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