1560年 戦国乱世

クロニクル

第6ターン · 1560年7月16日土曜日

外交尾張より上洛した織田信長の使節団が京へ到着し、幕府申次衆の大館晴光らが斯波氏に代わる国持衆格式での拝謁次第を整えてこれを迎え入れた。

外交幕府が長尾輝虎と長野業正の提携を「管領家領国の保全と東国静謐のための公儀の仲介」として公表する一方、信濃の武田晴信へ敵対意図の皆無と和戦仲介の用意を伝達させた。

戦争度重なる渡河失敗を喫した六角義賢は幕府の忠言を受け容れて愛知川正面の強襲を一時見合わせ、南岸に陣城を築いて部隊の再編と北近江への調略に転じた。

政治浅井新九郎は愛知川渡河点の防備を固めつつ犬上・坂田郡の国人衆へ結束を呼びかけ、六角方の切り崩しを封じて防衛態勢の安定を図った。

外交幕府使者が河内へ下向して高屋城開城と国外退去による和談を打診し、城を包囲する三好長慶が無血開城を前提として応諾の姿勢を示したことで、孤立した畠山高政は過酷な決断を迫られた。

戦争公儀の仲介と大義名分を得た長尾輝虎が春日山城にて関東越山の下知を下し、三国峠越えに向けた兵粮集積と関東諸豪族への触状発出を一気に加速させた。

室町幕府の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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