大日本帝国
外交大本営および政府は汪兆銘陣営に対し対重慶停戦交渉に充てる猶予を「三ヶ月間」と正式に通告し、重慶合流時の指導的地位保証と交渉不調時の新政権樹立・承認手続移行という二段構えの方針を明示して陣営内の動揺を鎮静化させた。
戦争ノルウェー中部においてドイツ軍の猛烈な航空攻撃と地上攻勢に抗しきれず、イギリスおよびフランス両軍はオンダルスネスおよびナムソスからの海路撤退を余儀なくされた。
政治宮中において木戸幸一内大臣らとの非公式接触が持たれ、陸相単独辞職による内閣瓦解の危機には大命降下による後任指名方式で政治空白を回避する旨の内意が確認され、閣僚および要人の身辺警護体制が緊急強化された。
戦争アメリカ合衆国政府はハワイ水域での艦隊演習終了後、太平洋艦隊主力部隊を西海岸へ帰還させず真珠湾へ無期限に残留配備することを公式に発表し、太平洋方面の抑止姿勢を誇示した。
外交米太平洋艦隊の真珠湾無期限駐留発表に対し、日本政府は軍事的対抗措置を自制し、蘭領東インドの現状維持方針を再確認する沈着な外交応答を堅持した。
戦争ドイツ軍は機甲集団と空軍の大部隊を投じ、中立国オランダ、ベルギー、ルクセンブルクへ一斉に越境侵攻(黄色作戦)を開始、西部戦線の火蓋を切った。
戦争ロッテルダム爆撃と独空挺部隊の急襲により本土防衛線が崩壊したオランダ政府は、ウィルヘルミナ女王と閣僚が英駆逐艦でロンドンへ脱出した後、ドイツ軍に対して降伏文書に調印した。
外交日本外務省は英国大使館に対し仏印・ビルマ経由の物資輸送停止と日中停戦仲介を打診し、仏印への軍事不進駐を確約して実務協議に入ったが、欧州戦局の激震と重慶の強硬姿勢により原則合意の模索にとどまった。
戦争アルデンヌ森林地帯を突破したドイツ装甲部隊がソンム川沿いを電撃的に突進してソンム河口に到達し、北部フランスおよびベルギーに展開する英仏連合軍主力約40万を英仏海峡沿岸に完全包囲・孤立させた。
外交東郷茂徳駐ソ大使とモロトフ外務人民委員の間で、現地測量成果を基礎としたノモンハン国境画定協定および日ソ満蒙国境紛争処理混合委員会の設置議定書がモスクワにおいて正式に調印された。
戦争ドイツ国 takes the last of ルクセンブルク's territory.