1560年 戦国乱世
島津家
第1ターン · 1560年6月17日金曜日
戦争日向の伊東義祐が飫肥城の島津忠親を孤立させるべく動員を行い、櫛間・清武街道筋に砦を構えて兵糧補給路を遮断し始めた。
戦争尾張国田楽狭間において、豪雨を突いた織田信長勢三千の強襲により総大将の今川義元が討ち取られ、二万五千を号した今川本隊は壊滅的潰走を遂げた。
外交人吉城に到着した島津家の使者が相良義陽の宿老らと対顔して和睦を打診したが、相良側は境目城の処遇や相互人質を条件として留保し、即時締結を避けて継続協議の構えをとった。
外交坊津および山川の代官が手配した商人船に乗った島津家の使僧が那覇湊へ向けて南下し、薩摩からの渡海船接近の報が奄美経由で首里王府へと届いた。
戦争大友義鎮は門司城の防備を固めるため、豊前・豊後の在地領主に兵糧米の集積と城普請を命じ、毛利方の渡海侵攻に対する警戒を強めた。
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