1560年 戦国乱世

クロニクル

第1ターン · 1560年6月11日土曜日

外交足利義輝は近江の六角義賢に親書を送り、幕府後見としての京警固と連絡役の常駐を取り付けたが、北近江の浅井氏に対する警戒から送られた警護の手勢はわずかな手勢にとどまった。

戦争尾張桶狭間の窪地にて、織田信長率いる本隊が豪雨をついて今川義元の本陣を急襲し、義元を討ち取って駿河勢二万五千を潰走させた。

外交三好長慶は、将軍家が河内出兵を妨害しないことを条件に山城の幕府領および御所を侵犯しない旨の起請文を義輝に返答し、高屋城の畠山高政は幕府に見捨てられたとして激昂した。

戦争桶狭間での敗報を受けた三河岡崎城の松平元康は、今川方の城将が退去した隙を突いて生来の本拠に入城し、織田・今川双方に対する自立の足がかりを築いた。

戦争三好長慶の嫡男・三好義興および松永久秀の手勢が河内へ進発し、畠山高政が籠もる高屋城と飯盛山城への包囲網を敷き始めた。

政治足利義輝は山城国内の奉公衆や大徳寺・妙心寺へ所領安堵の御教書を下付して徳政の要求を退け、京洛の治安維持を固めるとともに直轄基盤の動揺を抑え込んだ。

室町幕府の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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