クロニクル
創刊豊臣秀吉亡き後、七歳の秀頼を戴く天下は、五大老筆頭の徳川家康と、大坂で立った石田三成の挙兵との間で裂けつつある。会津征伐に動員された諸将は東海道を西へ返す構えを見せ始め、伏見や大坂では人質と義理が刃のように突きつけられており、どの家も
the powers徳川家: 関東二百五十七万石を領し七万の軍役を持つ家康は、会津討伐の兵をそのまま西へ返し、人質を取られた豊臣恩顧の諸将を束ねて石田方を討とうとしている。
the powers石田家: 大坂において毛利輝元を総大将に担ぎ出し、奉行衆と結んで徳川弾劾の十三ヶ条を発した三成は、秀頼の名の下に東国の諸将を切り崩そうとしている。
the powers豊臣家: 大坂城に幼主秀頼を擁する豊臣家は、二百二十万石と堺・京の富を背景に、どちらにも与せぬまま勝者に膝を屈する構えを崩さない。
the powers毛利家: 百六万石と三万の兵、瀬戸内の水軍を擁する毛利輝元は西軍の旗頭となったが、全軍を一戦に賭けることを避け、吉川広家の東への内通も知らぬまま構えている。
the powers上杉家: 会津百二十万石、兵三万を擁する上杉景勝は、家康出兵の名分となった直江状の後、白河口を固めて独自の戦を構えている。
the powers藤堂家: 伊予三十六万六千石、兵九千二百を率いる藤堂高虎は家康の最も近しい盟友として、脇坂ら西国の小大名を東軍に引き込む工作を担っている。
the powers蜂須賀家: 阿波十八万四千石、兵四千六百を擁する蜂須賀家政は高野山に退いて家名を西軍に預けつつ、嫡子至鎮を東軍に送り家の存続を両天秤にかけている。
the powers長宗我部家: 土佐九万八千石、兵二千五百の長宗我部家は、四国の片隅にあって東西いずれにも決しかねる小大名として、去就を注視されている。
your standing長宗我部家よ、汝が治めるは土佐一国、九万八千石、兵二千五百、民六万、治世の安定は並の域にある。隣国阿波には蜂須賀が家名を両天秤にかけて座し、伊予には徳川に近しい藤堂高虎の大軍が睨みを利かせており、四国における汝の去就は両陣営から値踏みされていよう。東西いずれに誼を通じるか、あるいは当面は書状の往来に身を潜めるか——その選択はまだ誰にも定まっていない。