1560年 戦国乱世

クロニクル

第45ターン · 1561年4月14日金曜日

戦争柴田勝家・佐久間信盛ら織田勢は観音寺城麓の主要間道と湧水を扼する位置に二重の柵塁と付城群を急普請し、浅井勢の愛知川封鎖および日野宿老衆の動員拒絶と連動して水の手・糧道を絶つ完全干殺し包囲網を敷設した。

外交織田信長は観音寺城を包囲する諸将に対し、日野の蒲生・後藤両宿老の本領安堵と公儀筋目を尊重し力攻めを厳禁とするとともに、向こう半年間は山城・畿内方面への一切の軍事越境を禁ずる厳格な軍令を下達した。

外交日野城の蒲生定秀・後藤賢豊らは観音寺城内へ最終通告使を遣わし、公儀御内書への違背は佐々木家滅亡を招くとして義賢・義治父子に隠退と名跡譲渡を求め、応ぜぬ場合は一門国人総出で絶縁することを宣告した。

政治三好家の松永久秀は織田軍が観音寺城包囲に留まり畿内越境の気配がないことを見届けて逢坂関の即時交戦態勢を緩和する一方、洛中にて足利義輝近辺の奉公衆に対する監視と牽制を一段と強めた。

戦争松平元康の命を受けた酒井忠次率いる東三河勢千余名は舟艇を連ねて浜名湖西岸を越え、曳馬城周囲で付城を築きつつあった今川方の朝比奈泰朝・久野宗能の陣地へ向け強行軍を開始した。

経済熱田・津島に滞在する北畠家の湊役人および志摩船手衆は織田家評定衆・御用商人との詰めの談合を終え、伊勢湾を南北に分担する共同警固区域の策定と有事における徴発大型商船の改装要綱を取りまとめた。

織田家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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