オーストラリア
戦争1939年9月1日未明、ドイツ国防軍がダンツィヒ回収とポーランド軍殲滅を掲げて国境を越え侵攻を開始し、欧州に戦端が開かれた。
戦争ドイツのポーランド侵攻を受け、英国およびフランス共和国は対独宣戦を布告し、キャンベラのメンジーズ連邦首相も直ちに帝国との連帯と対独参戦をラジオ演説で宣言した。
政治オーストラリア連邦政府は英国の開戦と同時に国内民兵(シチズン・ミリタリー・フォース)の部分動員令を発令し、各管区司令部を通じて招集令状の交付と沿岸防衛部隊の編成に着手した。
経済オーストラリア供給開発省は国内の民間造船所および機械メーカーと小型哨戒艇と弾薬製造の緊急随意契約を締結し、国家防衛産業委員会による工場統制令を即応待機状態に置いた。
経済キャンベラ代表団は米国民間企業から民間用工作機械の買い付けを取り付け、航空機エンジンの技術協力打診を進めたが、米側の旺盛な受注残と豪州の外貨制約により納期は長期化の様相を呈した。
外交モスクワにおいて日ソ双方がノモンハン(ハルハ河)停戦協定に調印し、赤軍の優位のもとで国境衝突が終結したことで、日本陸軍は北進論の頓挫と戦略見直しを余儀なくされた。
戦争ソビエト赤軍は独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきポーランド東部国境を突破して大挙進撃を開始し、西と東の双方から挟撃されたポーランド軍の防衛網は破綻に追い込まれた。
外交大英帝国政府はオーストラリアによるインド・太平洋シーレン防衛の誓約を歓迎し、本国最新鋭兵器の供与は留保しつつも、旧式駆逐艦および旧式練習機の自治領移管に向けた実務協議の開始に応じた。
戦争ドイツ軍の猛烈な砲爆撃に耐えかねたポーランド首都ワルシャワの守備隊が降伏を余儀なくされ、ポーランド政府は国外脱出と抵抗継続を模索しつつ組織的戦闘能力をほぼ喪失した。