1560年 戦国乱世
今川家
第143ターン · 1575年5月31日土曜日
戦争岡部元信隊の不断の大筒曲射により摂津芥川山城の外郭土塁と矢倉防塁が崩落し、兵糧を断たれた城兵の動揺が極に達する中、矢文による降伏勧告が城内へ射ち込まれた。
経済堺会合衆は今川家使節の通航保護提案を受諾して三好家への兵糧・軍資金の融通を完全に停止し、湊を今川船団へ開放して商船の渡海手形を受納した。
戦争摂津・大和・和泉の各戦線で今川方の大筒集中砲撃が浴びせられ、多聞山城や岸和田周辺の外郭防禦施設が著しく損壊して三好方前線守備隊の組織的銃撃力が減退した。
外交公儀の将軍御教書を引用した矢文と軍使が大和・摂津・和泉の諸城砦へ送られ、城兵や在地国人衆から今川本陣へ助命と離脱を乞う密使が相次いで参集した。
政治今川義元は投降した端武者や在地土豪に即座に本領安堵状を下付して軍規の遵守を徹底させ、摂津・大和周縁の三好方支城群において流血を伴わぬ開城と帰順が連鎖した。
政治室町幕府の細川藤孝らは摂津・大和における今川方の進撃と支城開城の戦果を言上し、畿内各地の寺社・土豪へ三好三人衆への従属を禁ずる御教書を重ねて発布した。
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