1560年 戦国乱世

クロニクル

第7ターン · 1560年7月23日土曜日

外交志布志に入った島津忠将、後詰本隊の兵糧・実動兵力を再点検の上、飫肥城の島津忠親と意を通じ、伊東義祐よりの城明渡し要求を拒絶する旨の返書を認めた。

経済坊津浦奉行、種子島氏使者との間で手付銀三十枚を代金に繰り入れる約定を交わし、硝石十斤と船大工雇い入れを含む品目別単価の取り決めを正式に書面化した。

戦争飫肥二の丸の島津忠親は酒谷川の伊東方哨戒の厳重さを見て舟運搬入を見送り、搦手の山道を通じた小口連絡のみを保ちつつ井戸と胸壁の持久体制を維持した。

政治相良義陽は島津方からの起請文督促が止んだことを確かめ、芦北・大口境目の加勢衆を増員せず現状維持にとどめて動座を見合わせた。

戦争毛利軍の吉川元春・小早川隆景が石見山吹城の周囲に新たな逆茂木と監視砦を築き、尼子方の兵糧搬入路を完全に遮断した。

島津家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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