1560年 戦国乱世
クロニクル
第43ターン · 1561年4月1日土曜日
戦争武田義統の御前衆は丹後宮津方面への攻勢を停止し、加悦谷の陣城に留まって内通国人衆の収容と逆茂木・堀切による防衛拠点の整備に移行した。
外交越前一乗谷の朝倉義景は若狭武田家の進軍停止と湊役割増しの申し出を受けたものの、過去の約束反故を理由に加悦谷陣城の解体確認まで敦賀・三国湊での廻船差配差し止めを解かぬ方針を言い渡した。
戦争丹後宮津城の一色義道は若狭勢の進軍停止を確認しつつも徹底抗戦を崩さず、加悦谷陣城への兵糧搬入路に伏兵を放って散発的な小競り合いを仕掛けた。
政治室町幕府の足利義輝は丹後加悦谷での陣城維持を重ねての停戦令無視とみなし、若狭武田家を公儀違背の者と糾弾する警告書状を後瀬山城へ送りつけた。
政治近江観音寺城の六角義賢は北近江領国の保全を固めるため朽木口番所の警備を一段と強化し、若狭・丹後境界からの避難民や落人の近江進入を厳重に遮断した。
経済若狭小浜湊代官は越前両湊での廻船差し止め継続を受け、やむなく一部の廻船を山陰・西国航路へ迂回させる措置を執ったが、高額な運賃負担により湊銭収入の目減りを余儀なくされた。
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