1560年 戦国乱世
クロニクル
第46ターン · 1561年4月21日金曜日
外交北畠具教の命を受けた九鬼嘉隆ら志摩船手衆は鳥羽・大湊を拠点に南伊勢湾水路の定期警固哨戒を開始し、大湊・山田の湊役人へ尾張廻船の出入津を円滑化する通達を発した。
経済熱田・津島の船奉行と御用商人衆は取り決めに従い伊勢湾北部を巡回する番船の配備を開始するとともに、徴発対象の大型商船への舷側板補強と仮設矢倉用木材の仕立て普請に着手した。
戦争酒井忠次率いる松平軍千余名は曳馬城の飯尾連竜と呼応して今川方の陣所へ挟撃を敢行し、朝比奈泰朝・久野宗能が築きつつあった付城陣地を一部突き崩して曳馬城との補給連絡路を切り開いた。
外交堺会合衆の今井宗久は河内飯盛山城にて松永久秀と折衝し、堺の自治・商業特権の維持を確認させるとともに、尾張方面へ向かう硝石・鉛を積んだ廻船に対する過度な臨検免除の内諾を得た。
戦争浅井長政の命を受けた磯野員昌らは愛知川の陣より観音寺城北方の間道を厳重に封鎖し、織田方の付城群および日野宿老衆と呼応して城外への物資搬入や脱出路を完全に遮断した。
政治幕府奉公衆の細川藤孝は日野城の蒲生定秀・後藤賢豊および織田家家老の林秀貞と会談を重ね、六角義賢・義治父子の退隠剃髪と佐々木宗家名跡の保全、南近江路次警固を定めた公儀御教書の最終条文を合意した。
Orbis Alterni · AIグランドストラテジー・サンドボックス