1560年 戦国乱世
クロニクル
第66ターン · 1562年5月4日金曜日
外交勝沼の宇都宮陣所において武田家宿老・馬場信春ら使節との間で館明け渡しと証人引き渡しの細目が妥結され、甲府に入った検分役の目前で武田晴信が剃髪出家して法名を徳栄軒信玄と号した。
戦争宇都宮家の直轄槍鉄砲衆が勝沼より甲府へ整然と進駐して躑躅ヶ崎館を混乱なく無血接収し、武田勝頼ら一族男子の証人を確実に受領・確保した。
外交躑躅ヶ崎館の接収と証人確保の急報が宿次二重伝馬網により鎌倉御所へ送達され、宇都宮広綱より足利藤氏へ甲州仕置草案に基づく御料所代官職判物の即時下付が正式に奏聞された。
政治鎌倉公方・足利藤氏より管領上杉政虎連署の公儀御判物が発給され、甲斐一国を公方御料所と定めたうえで宇都宮広綱が「甲斐国公方御料所代官職」に正式に補任された。
政治躑躅ヶ崎館および甲府城下に公儀代官制札が掲げられて乱妨狼藉・私闘の厳禁と在地諸士の本領安堵が布告され、甲斐一国の統治支配が宇都宮代官所のもとで速やかに定着した。
戦争信濃佐久口の内山城に入った長野業政の手勢が要害の修復と番手配置を固め、公儀御教書を掲げて佐久郡東部の在地諸士へ領地安堵を布告した。
外交武田晴信の剃髪開城と甲州御料所化の報を受け、今川氏真は富士川筋関所の番手を固めつつ公儀追討軍への敵意なき旨を伝える使者を甲斐境目へ派遣した。
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