1560年 戦国乱世
島津家
第3ターン · 1560年7月1日金曜日
政治島津家当主が非農業民および女子への一年間兵役令を下すも、前例なき徴発に領内の国人衆や地頭が強く反発し、諸郷で忌避と逃散が相次いで家中統制が大きく動揺した。
外交島津家より相良・大友・琉球へ修好の使者が発されたが、拿捕船の返還や国境配備の撤回を伴わぬ口上はことごとく拒絶され、諸家の警戒と不信を招く結果に終わった。
戦争日向飫肥城では伊東義祐の猛攻により外郭と水の手が完全に断たれ、守将・島津忠親は本丸に追い詰められて後詰なき落城の危機に瀕した。
戦争豊後の大友宗麟は伊東・相良両家の要請を受けて肥後南部へ親衛の馬廻衆を進発させ、薩摩・肥後境目にて島津勢への牽制を強めた。
外交首里の琉球王府は薩南での商船抑留を受け、福州への進貢路を護衛船で固めるとともに、大明国福建布政使司へ島津家の乱妨を言上する告達を発遣した。
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