1560年 戦国乱世

クロニクル

第3ターン · 1560年6月24日金曜日

外交島津の使者、府内にて大友義鎮に九州へ兵火を広げぬ旨同心と申し述べ、軍事の確約は求めず、義鎮これを諒として中立を守る。

戦争毛利勢第二陣、船手と共に石見へ渡り、大森銀山周辺の尼子方国衆二家を降して山吹城を半ば孤立させる。

戦争尼子晴久、月山富田の人数と山中幸盛の手勢を大森方面へ差し向け、山吹城の後詰として銀山の守りを固める。

戦争島津の飫肥後詰三千、志布志口に集結し、日向南部の地理に通じた者を先遣として南郷の迂回路より進発する。

戦争伊東義祐、物見より島津後詰の進発を知り、飫肥二の丸へ昼夜の攻めを加えるが、忠親の城兵これを支えて堀際に押し返す。

戦争三好の将松永久秀、河内へ兵を進めて畠山高政の高屋城外を焼き、飯盛山との連絡を断ちにかかる。

政治三河の国衆、岡崎の松平元康のもとへ相次いで参じ、今川氏真の駿府では遠江国衆の人質を改めて召し出す令が出る。

戦争島津後詰の先遣、飫肥北方の伊東方付城の配置と都於郡からの兵糧道を見届け、本隊は正面を避けて城内と狼煙で連絡を通じる。

戦争桶狭間の勝報を背に、織田信長は鳴海・大高の今川残兵に開城を迫り、大高城は松平勢の退去後に織田方へ明け渡される。

島津家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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