1600年 関ヶ原
クロニクル
第4ターン · 1600年12月3日日曜日
不穏中津城下に留め置かれた大友義統はわずかに残る側近や家老衆の鎮撫に努めたが、離散した旧臣らの復帰は叶わず、扶持の不足と処遇未定の不安から陣営の消耗が進んだ。
外交豊後の小大名たちは大友家の再興が絶望的となったことを見定め、黒田如水の周旋を通じて徳川家康へ個別に起請文を差し出し、本領安堵を取り付ける動きを加速させた。
政治大坂の徳川家康は吉川広家の周旋を容れて毛利輝元の処遇を周防・長門二カ国への減封に留めると決定し、輝元が起請文を差し出して受諾したことで毛利家の存続が確定した。
外交上方より黒田如水のもとへ徳川家康の使者が到着し、大友義統については如水の嘆願を容れて切腹を免じ、身柄を東国の大名へ預けて流罪とする内示が中津本陣へ伝達された。
政治加藤清正は宇土城開城に伴う旧小西領の接収と城割を終え、肥後一円の支配体制を整えて徳川家康へ正式な知行宛行を求める使者を派遣した。
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