1560年 戦国乱世
若狭武田家
第28ターン · 1560年12月23日金曜日
外交若狭彦神社にて武田義統の血判起請文が奉納され、粟屋勝久・逸見昌経へ身命・領主権不侵害と境目総奉行格式を誓約する一札が届けられたが、両城主は新恩手形を受領しつつも動員枠拡大の即答を春以降へ留保した。
経済後瀬山目安方は冬期農閑期の工夫を動員して春の作付けに向けた井堰・用水路の浚渫および新開地の畦畔補強に着手した。
外交三好家の松永久秀は紀伊の雑賀衆・根来衆に対し亡命中の畠山高政の身柄引き渡しを重ねて通告する一方、堺商人を介して小浜詰めの雑賀鉄砲衆の動静を引き続き探らせた。
外交一乗谷の朝倉義景へ向け新春の年頭太刀進上の使節と加賀境目の商人風聞書が仕立てられ、越前・若狭境目の荷駄往来と領内不入の盟約が改めて確認された。
経済小浜湊代官所は春以降の湖北街道および京・堺方面への荷駄流通拡大を見据え、倉庫・船溜まりの点検整備と津料徴収・問屋中継の調整案を取りまとめた。
戦争後瀬山城下において馬廻り見習い八名を含む騎馬隊と長巻徒士百二十名、雑賀衆十名を交えた鉄砲隊による厳冬下の諸兵科合同陣立調練が実施された。
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