1939年 嵐の予兆
大日本帝国
第2ターン · 1939年9月30日土曜日
政治平沼首相は独ソ接近による辞任論を退けて留任を宣言し各省庁に職務継続を厳命したものの、外交方針の漂流を巡る閣内対立が深まり政権の求心力は著しく低下した。
戦争ドイツ国防軍がダンツィヒおよび国境各方面からポーランドへの全面侵攻を開始し、欧州全域を未曾有の戦乱に巻き込む第二次世界大戦の火蓋が切られた。
外交イギリスとフランスがポーランドへの安全保障公約に基づきドイツへ宣戦を布告し、イタリアは深刻な物資不足を理由に非交戦を宣言して参戦を回避した。
外交有田外相は大島駐独特命全権大使へ陸海軍合同技術研究団の派遣と装甲・潜水艦設計図の供与要請を訓令したが、東京での陸海軍間調整の難航により目録の最終確定は持ち越された。
戦争ハルハ河戦線において日本軍飛行集団による敵後方要座への反復爆撃と補給縦列の前進強行が実施されたが、赤軍の濃密な対空砲火と機甲反撃により双方に多大な損耗が生じた。
経済大蔵省は建艦計画転換に伴う予算費目流用と補償金支給の手続きに着手したが、正貨流出を警戒した厳格な実費査定を課したため造船工廠側で資金手当ての遅延と不満が生じた。
戦争ソビエト赤軍は独ソ秘密議定書に基づきポーランド東部国境を越えて軍事進攻を開始し、背後を脅かされたポーランド軍の組織的防衛態勢は致命的な打撃を受けた。
政治陸軍省と海軍省は対独技術受入と統合戦術研究を担う機関として陸海軍戦術研究所設立準備委員会を立ち上げたが、人事枠と主導権を巡る折衝により正式開所は先送りとなった。
戦争ドイツ軍の猛烈な包囲砲爆撃の末にワルシャワが降伏し、ベルリンとモスクワはポーランド領の東西分割を規定した独ソ境界友好条約に調印した。
戦争ドイツ国 takes the last of ポーランド's territory.
Orbis Alterni · AIグランドストラテジー・サンドボックス