1560年 戦国乱世
クロニクル
第8ターン · 1560年7月30日土曜日
戦争飫肥二の丸の島津忠親、搦手の山道より志布志へ城内台帳を送り届け、兵糧四十日分と兵二百四十余名の健在を報じて持久の備えを固めた。
経済種子島よりの船が坊津へ入港し、硝石十斤の蔵入れ検収を終えるとともに、同道した船大工二名が浦番所の船艇修繕に着手した。
戦争島津忠将は志布志にて兵二千二百の待機態勢を整えつつ郷導三十余を酒谷川筋へ放ったが、伊東方の哨戒厳重と見て本隊進出を見送り威力偵察に留めた。
外交豊後府内に至った島津使者に対し大友義鎮は争乱不拡大を歓迎しつつ調停権を留保し、伊東義祐からの出兵督促にも言質を与えず門司警固を優先した。
戦争伊東義祐は志布志方の物見の蠢動を察知して飫肥付城群と酒谷川筋の哨戒を一段と強化し、二の丸への圧迫態勢を維持した。
戦争毛利軍が石見山吹城の周囲に築いた監視砦により兵糧搬入路を完全に断たれた尼子方は、城内の節米を強いられ持久の限界が近づきつつある。
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