1560年 戦国乱世

クロニクル

第6ターン · 1561年1月22日日曜日

経済伊達領内にて冬期の豪雪を衝いて前線城砦への兵糧米小分け駄送が強行され、人馬に多大な疲弊と飼料消費を強いられつつも境目の各拠点への備蓄を完了した。

戦争上野箕輪城の長野業正が三国峠を越えて南下してきた長尾景虎の大軍を迎え入れ、西上野の諸将を糾合して武蔵・相模への補給と進軍路を確保した。

戦争長尾景虎率いる十万と号する越後・関東諸将の大軍が武蔵の諸城を次々と下し、北条氏康を小田原城へ追い詰めて大規模な城塞包囲陣を敷いた。

戦争武田晴信は長尾勢の関東出兵の隙を突いて千曲川沿いに海津城の本丸・堀普請を完了させ、春名親盛らを定番として配備し北信濃支配を確固たるものとした。

外交会津の蘆名盛氏は伊達との和会によって背後の憂いを排した上で、南奥の二階堂家および田村家に対し起請文の提出と臣従を迫る圧力を強めた。

戦争雪解けとともに伊達軍四千余が伊具郡へ侵入して端城の連絡路を遮断し前哨を孤立させたが、相馬盛胤が直属勢を率いて要衝に急行し頑強な抵抗を展開したため激しい陣地戦に突入した。

政治山形城の最上義守は伊達家との婚姻成立を誇示して村山郡内の国人領主層へ参陣を催促し、反抗的な在地領主の切り崩しを進めて家中統制を強化した。

戦争西三河の松平元康による切り崩しに対し、駿府の今川氏真は東三河の要衝吉田城へ援兵と兵糧を送り込んで防衛線を辛うじて維持した。

伊達家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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