1600年 関ヶ原
豊臣家
第6ターン · 1601年2月26日月曜日
政治城代片桐且元、殿の御諚を受けて東軍諸将の妻子を大坂城より悉く解き放ち、福島・黒田・細川らの屋敷へ送り届く。
外交本多正信、妻子解放を恭順の証として歓迎しつつ、誓紙の提出と本丸番への目付配置を二月二十日までに承知せよと期限を切って申し入る。
外交福島正則・加藤清正の名代、本丸に参上して秀頼公の御言葉を受け、両家は大坂への敵意を和らぐるも、奉行衆は謝罪の文言を『秀頼様は挙兵を御諚なされず』の筋目に添うよう削り直す手間を負う。
政治家康、播磨を池田輝政に、丹波・但馬の豊臣蔵入地を東軍諸将へ割り付ける朱印を発し、豊臣家は摂河泉を中心とする一大名の規模へ縮む。
外交増田長盛、西の丸にて『秀頼様御自身は一度も挙兵を御諚なされず、専断は大老・奉行衆にあり』との筋目を述べ誓紙の文言を詰むるも、正信は冷ややかに聞き置き、目付の条は譲らず。
外交小早川秀秋、平岡頼勝・稲葉正成を西の丸に遣わし、備前・美作宛行いの御礼と全き服属を言上す。
外交脇坂安治、船手を播磨灘に繰り出して徳川方の兵糧運送を務め、家康より淡路安堵の内書を得る。
外交生駒一正、父親正の西軍加担は隠居一人の所為と家康方へ重ねて弁じ、讃岐安堵の内意を得る。
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