1560年 戦国乱世

島津家

第10ターン · 1560年8月19日金曜日
この世界の現在の地図

経済飫肥城二の丸の島津忠親は一日一人五合換算で城内兵糧を厳密に再精査し、残存三十二日分と算定した台帳を間道経由で志布志へ届けさせた。

経済坊津にて船底を張り替えた荷船に兵糧五十石と矢五百束を積み込み、薩南海路を航行して志布志湊の蔵への荷揚げを無事に完了した。

戦争志布志より進出した島津方の軽兵四十余名が清武南方の隘路にて伊東方の小荷駄列を奇襲し、荷駄三駄を遺棄させ後続の護衛を警戒して山中へ退却した。

戦争伊東義祐は清武での小荷駄襲撃を受けて補給列の警固を倍増させるとともに、飫肥城二の丸搦手の尾根筋に柵番所を新設して抜け道封鎖を図った。

戦争河内にて三好長慶と松永久秀が高屋城外郭の付城網を完成させ、飯盛山城との遮断を決定づけて畠山高政の本丸に対する水の手攻めに着手した。

戦争毛利軍の吉川元春らは石見山吹城の完全封鎖を維持しつつ、大森銀山周辺の坑夫や在地土豪へ内応調略を仕掛けて城兵の孤立化を深めさせた。

島津家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
あなたの歴史を書く
Orbis Alterni · AIグランドストラテジー・サンドボックス