1600年 関ヶ原

クロニクル

第3ターン · 1600年11月3日金曜日

政治大友義統は中津の黒田本陣への出頭を決断して手勢の解散を命じたが、再興を期していた旧臣や地侍連判衆は面目を失って激しく動揺し、多くが離反・逃散して大友家の直轄兵力は激減した。

政治京都六条河原にて捕縛された石田三成・小西行長・安国寺恵瓊が処刑され、大坂城西の丸を退去した毛利輝元が吉川広家を通じて恭順を誓うなど、徳川家康による畿内の戦後秩序の掌握が決定的となった。

外交大友義統が供回りとともに豊前中津城の黒田如水のもとへ出頭し、如水は降伏の礼を受け入れ、内府徳川家康へ大友家一命の赦免と家名存続を取り成す誓紙認印の使者を東海道へ放った。

戦争本領の小西行長処刑の凶報が届いた宇土城では、加藤清正の説得に応じて城代小西行重らが開城降伏し、肥後南部は加藤家の完全な支配下に収まった。

外交大友家の瓦解と黒田勢の豊後進出を目の当たりにした豊後の諸大名は、居城安堵を求めて黒田如水および東軍へ相次いで誓紙を差し出し恭順の意を表した。

戦争加藤家 takes the last of 小西家's territory.

大友家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
あなたの歴史を書く
Orbis Alterni · AIグランドストラテジー・サンドボックス