1885年 アフリカ分割

コンゴ自由国

第0ターン · 1885年2月26日木曜日
この世界の現在の地図

創刊1885年2月26日、ベルリンの会議室で引かれた地図により、アフリカはいまだ踏破されぬまま列強の間で紙の上に分割された。レオポルド王の私領コンゴ自由国が広大な内陸を手にする一方、エジプトとスーダンの統治をめぐる英国の立場、西アフリカでの仏独の角逐、そしてコンゴ河流域における境界の未確定が、早くも火種として燻っている。条約の文言は美しいが、現地の川と部族と商館がそれに従う保証はどこにもない。

the powersコンゴ自由国: レオポルド王個人の所領としてコンゴ河流域の広大な内陸を抱え、象牙とゴムの交易路確保を急務としながらも、統治機構も軍備も乏しい脆弱な新興領邦である。

the powers大英帝国: エジプトを事実上占領し、南アフリカからカイロへの縦断線を思い描く世界最大の海軍国であり、二百四十隻の軍艦と二十一万の陸軍、百十億の国富を擁する。

the powersフランス: 西アフリカからインド洋岸まで植民地網を広げつつ普仏戦争の屈辱を雪ぐ軍備拡張を進め、百三十隻の軍艦、五十万の陸軍、八十億の国富を持つ野心的な共和国である。

the powersドイツ: 統一からわずか十数年で東アフリカと南西アフリカに植民地を得た新興帝国であり、六十隻の軍艦、四十五万の陸軍、九十億の国富を背景に列強の仲間入りを急いでいる。

the powersポルトガル: アンゴラとモザンビークを結ぶ『赤い地図』構想を掲げる古参の植民地保有国だが、国力は小さく、英仏独の圧力の前で領域確定に苦慮している。

the powersオスマン帝国: 中東と北アフリカの広大な版図をなお保持する伝統的大国だが、諸州の離反と列強の干渉に苦しみ、往年の威勢に陰りが見え始めている。

the powersロシア帝国: 中央アジアを制圧し八十万の大軍を擁する陸の帝国であり、南下政策によりインド国境とオスマン領への圧力を強めつつある。

your standing貴国コンゴ自由国は、レオポルド王の名の下にコンゴ盆地の広大な領土を得たばかりだが、統治の実質はいまだ脆弱で、国庫も軍備も列強に遠く及ばない。東にはドイツが領有するタンザニア・ルワンダ・ブルンジが迫り、西と南にはフランスとポルトガルの勢力圏が接し、国境の画定と内陸の実効支配、そして交易路の確保という課題が同時に突きつけられている。列強の承認という外套の下で、いかにして実力を備えた国家へと育て上げるか、その選択は今この時点では誰にも定まっていない。

コンゴ自由国の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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