1560年 戦国乱世

島津家

第51ターン · 1561年6月2日金曜日
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外交島津義久は大友宗麟へ対し、日向・肥後境目における両軍の衝突を防ぐため、本年七月一杯を期限とする境目不可侵の起請文を認めて使者により豊後府内へ届けさせた。

経済薩摩・大隅・日向・球磨の各郷より田植えが平年並みに滞りなく完了した旨の検地報告が鹿児島城へ達し、島津義久は六月後半の野分に備えて各郷へ普請補助金を下付し堤防や水門の補強工事を一斉に命じた。

外交豊後府内の大友宗麟は島津家より七月末日までの境目不可侵起請文を受領し、南境の安全を確認したことで軍勢の注意を門司城番手および西肥前の防備へ完全に振り向けた。

外交西肥前の松浦党および波多氏の在地国人衆が龍造寺隆信からの重ねての知行宛行と誓紙を受け入れ、佐賀勢への合流を確約したことで大友家の西肥前への影響力は名目上のみとなった。

島津家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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