1560年 戦国乱世
織田家
第38ターン · 1561年3月3日金曜日
戦争織田信長は評定衆の具申を容れて上洛行軍の隊形を正式に下達し、柴田勝家の先陣に続き馬廻衆二百騎と鉄砲足軽隊が重層に固める本隊中央に信長の馬印と軍旗を押し立てて東山道・観音寺城下を威圧行軍する陣立てを確立した。
政治観音寺城の六角義賢・義治父子は織田軍が城下大路を堂々と行軍する陣立てを通達したとの報に激怒するも、日野城の宿老層が動員拒絶を貫き国人衆も応ぜぬため、城外へ打って出る術を失い孤立を深めた。
外交日野城の蒲生定秀・後藤賢豊らは南近江沿道諸士へ改めて不戦・自重の触れを下達し、観音寺城からの出陣下知を一切退けて領民や街道への軍勢通過を平穏に見送る体制を整えた。
政治松平元康は無血接収した吉田城へ重臣の酒井忠次を城代として送り込み、東三河諸城の統制を固めるとともに、遠江曳馬城主・飯尾連竜へ内通を促す密使を放った。
戦争今川氏真は掛川城の朝比奈泰朝に命じ、三河から退去した小原鎮実らの手勢を宇津山城および新居関に再配置させ、浜名湖西岸の防衛線を再編して遠江国人の動揺阻止に奔走した。
外交浅井長政は愛知川前線の将卒へ対六角の挑発や越境を固く禁じる軍令を重ねて徹底させつつ、小谷城下の宿館および美濃境目からの輜重警固態勢の最終点検を完了した。
外交北畠具教は三月上旬に迫る織田軍の領内通過に備え、関・神戸両領内の宿次における駄馬・人夫の手配と薪炭の配分を総点検させ、通過時の摩擦を防ぐ警固態勢を整えた。
政治室町幕府の細川藤孝は将軍御座所の警固と儀礼の差配を整え、間もなく岐阜を進発する織田信長の上洛受入れ態勢を三好方を刺激せぬ体裁で整えた。
政治三好家の松永久秀は山城・近江国境の逢坂関および山崎の番衆へ公儀参礼の体裁を保つ使節の往来を容認する旨を通達しつつ、京洛周辺の警戒態勢を一段と引き締めた。
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