1600年 関ヶ原
石田家
第1ターン · 1600年9月29日金曜日
政治石田三成は家康の誓書違反十三箇条を添えた弾劾状を諸大名へ送付し大義を説くも、大坂城の淀殿は秀頼直筆の討伐綸旨の発給を留保し、豊臣家は形式的な中立を維持した。
外交三成の要請を受けた毛利輝元は大坂城西の丸にて西軍総大将への就任を再確認したものの、本隊の出陣を見送り、毛利秀元と吉川広家に限られた先遣隊のみを委ねて東上させた。
戦争徳川家康は下野小山にて軍議を開き、大坂の人質に動揺する豊臣恩顧諸将を巧みに説得して結束を固め、軍勢を西へと反転させて東海道を邁進させ始めた。
戦争大谷吉継は越前諸将を糾合して前田利長の南下を牽制しつつ、美濃方面の戦線を補強すべく近江・美濃国境へと兵を繰り出した。
戦争宇喜多秀家率いる一万七千の大軍が大坂を出陣し、岐阜城の織田秀信と呼応して美濃防衛線を構築すべく大垣方面へと東上した。
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