1560年 戦国乱世

クロニクル

第40ターン · 1561年3月11日土曜日

外交鹿児島城へ着港した琉球使節に対し、島津義久は期日猶予の請願を即座に退け、予定通り調練を推し進め自国は自国にて守るべしとの冷酷な拒絶を通告した。

不穏琉球本島の首里および那覇近郊の複数拠点にて、王府の重税と苛政を口実とした領民の蜂起が島津の草の手引きにより突発し、王府は港湾警備兵を割いて鎮圧に追われ海岸防備に綻びが生じた。

経済山川湊の兵站基地にて集積に従事した駄馬主や人夫らへ十分な褒美が給され、島津歳久を中心に家久・樺山らが連動して那覇占領後の兵糧および官庫接収手順を策定した。

戦争河内国の飯盛山城にて水の手と糧道を完全に封鎖された畠山方の城兵が相次いで三好陣営へ投降し、三好長慶は畠山高政への最終開城勧告を突きつけて降伏を迫った。

政治東肥前の佐賀平野にて龍造寺隆信が小城郡の在地領主らへ知行安堵と誓紙を下付して切り崩しをさらに進め、大友方の影響力を平野部からほぼ一掃した。

戦争出雲・伯耆境目にて毛利元就が孤立した尼子方支城の二箇所を兵糧攻めで降伏開城させ、富田城への攻囲網をさらに一歩前進させた。

島津家の治世に記録された年代記. この号のすべての出来事は、シミュレーションによってその場で書かれました。
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